「祈り」山尾三省
2016年 10月 23日
10月21日(金)14時07分に起きた鳥取県中部地震(M6.6、震度6弱)の被災地と被災者の皆さんが心配。
心よりお見舞い申し上げます。
気象庁は、約一週間は震度6程度の地震発生の可能性ありと、注意を呼び掛けている。
地震の収束と、一日も早く穏やかな日常を取り戻せることをお祈りしたい。
久し振りに山尾三省の詩集「祈り」を開く。
祈り 山尾 三省
南無浄瑠璃光
海の薬師如来
われらの 病んだ心身を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ
南無浄瑠璃光
山の薬師如来
われらの 病んだ欲望を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ
南無浄瑠璃光
川の薬師如来
われらの 病んだ眠りを 癒したまえ
その深い せせらぎの音に やすらかな枕を戻したまえ
南無浄瑠璃光
われら 人の内なる薬師如来
われらの 病んだ科学を 癒したまえ
科学をして すべての生命に奉仕する 手立てとなさしめたまえ
南無浄瑠璃光
樹木の薬師如来
われらの 沈み悲しむ心を 祝わしたまえ
樹ち尽くす その青の姿に
われらもまた 深く樹ち尽くすことを 学ばせたまえ
南無浄瑠璃光
風の薬師如来
われらの 閉じた呼吸を 解き放ちたまえ
大いなる その青の道すじに 解き放ちたまえ
南無浄瑠璃光
虚空なる薬師如来
われらの 乱れ怖れる心を 溶かし去りたまえ
その大いなる 青の透明に 溶かし去りたまえ
南無浄瑠璃光
大地の薬師如来
われらの 病んだ文明社会を 癒したまえ
多様なる 大地なる花々において
単相なる われらの文明社会を 潤したまえ
Om huru huru Candali matangi Svaha
〈オーム フル フル チャンダーリ マータンギー スヴアーハー〉
(薬師如来 真言)
山尾 三省(やまお さんせい)
1938年、東京・神田生まれ。
早稲田大学文学部西洋哲学科中退。
77年、家族とともに屋久島の一湊白川山に移住し、耕し、詩作し、祈る暮らしを続ける。
2001年8月28日、死去。
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本の間から、2枚の手書きの原稿用紙が出てきた。
ちょうど10年前の夏の終わりに、私が書いた短い文章だ。
養父の3回忌を終えて過ぎ去ろうとしている今年の夏は、実父が亡くなって30年目の夏でもあった。あの遠い別れの夏も、うだるような暑い毎日だった。
12の時に腎臓病を患って以来ずっと身体の弱かった私は、実父の年齢(47歳)まで生きることを目標にしてきた。そして今春とうとう父の享年と並ぶ歳となる誕生日を迎えた。
幼い時分から、酒乱の父には悩まされ泣かされることばかりの生活だったが、ひとつだけ今も忘れることのできない父の台詞がある。
「人にも物にも、この世の全てのことに感謝しなさい。たとえば、トイレで用を足したあとは、トイレの神様にありがとうを言いなさい」それが父の口癖だった。
父の生きざまからすれば矛盾以外の何ものでもなかったが、私はこの言葉に何かしら不思議な感動を覚えた。
今も私は、スーパーのレジ係に、バスの運転手さんに、ファミレスのウェイトレスさんに、そしてトイレの神様に、毎日あらゆるシーンでの「ありがとう」を欠かさない。
今年、私は一冊の詩集と出合った。屋久島の森羅万象のなかで、生命を見つめ、世界平和を祈り続けた詩人、山尾三省。
父とは正反対の生き方をした彼の詩のなかに、父の志と重なる一節を見つけた時には、涙があふれて止まらなかった。
(中略)
人生の感謝を教えてくれた実父と、行く末を遠くから見守ってくれた養父。
二人の生命を引き継いで、これからも私は生きて行く。
あらためて「ありがとう、お父さん」。
(2006年晩夏 記)
足の裏踏み 山尾 三省
閑ちゃんは 二年だから
父さんの 足の裏踏み 五十回
一、二、三、四……五十回 有難う
すみれちゃんは 四年だから
足の裏踏み 七十回
一、二、三、四……七十回 有難う
海彦は六年だから
足の裏踏み 百回
一、二、三、四……百回 有難う
病気になって父さんは このごろ思うのだが
結局人生は この有難うということを
心から言うためにこそ あったのだ
有難う
ありがとう 子供たち
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「祈り」
2002年8月28日第一版第一刷発行
著者/山尾三省
発行者/石垣雅設
発行所/野草社
発売元/新泉社
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