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りんご詩姫のブログ(新)

「祈り」山尾三省

10月23日、雨の日曜日はユーウツ。

10月21日(金)14時07分に起きた鳥取県中部地震(M6.6、震度6弱)の被災地と被災者の皆さんが心配。
心よりお見舞い申し上げます。
気象庁は、約一週間は震度6程度の地震発生の可能性ありと、注意を呼び掛けている。
地震の収束と、一日も早く穏やかな日常を取り戻せることをお祈りしたい。


久し振りに山尾三省の詩集「祈り」を開く。

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祈り         山尾 三省

南無浄瑠璃光
海の薬師如来
われらの 病んだ心身を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ

南無浄瑠璃光
山の薬師如来
われらの 病んだ欲望を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ

南無浄瑠璃光
川の薬師如来
われらの 病んだ眠りを 癒したまえ
その深い せせらぎの音に やすらかな枕を戻したまえ

南無浄瑠璃光
われら 人の内なる薬師如来
われらの 病んだ科学を 癒したまえ
科学をして すべての生命に奉仕する 手立てとなさしめたまえ

南無浄瑠璃光
樹木の薬師如来
われらの 沈み悲しむ心を 祝わしたまえ
樹ち尽くす その青の姿に
われらもまた 深く樹ち尽くすことを 学ばせたまえ

南無浄瑠璃光
風の薬師如来
われらの 閉じた呼吸を 解き放ちたまえ
大いなる その青の道すじに 解き放ちたまえ

南無浄瑠璃光
虚空なる薬師如来
われらの 乱れ怖れる心を 溶かし去りたまえ
その大いなる 青の透明に 溶かし去りたまえ

南無浄瑠璃光
大地の薬師如来
われらの 病んだ文明社会を 癒したまえ
多様なる 大地なる花々において
単相なる われらの文明社会を 潤したまえ

Om huru huru Candali matangi Svaha
〈オーム フル フル チャンダーリ マータンギー スヴアーハー〉

(薬師如来 真言)


山尾 三省(やまお さんせい)
1938年、東京・神田生まれ。
早稲田大学文学部西洋哲学科中退。
77年、家族とともに屋久島の一湊白川山に移住し、耕し、詩作し、祈る暮らしを続ける。
2001年8月28日、死去。

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本の間から、2枚の手書きの原稿用紙が出てきた。
ちょうど10年前の夏の終わりに、私が書いた短い文章だ。

養父の3回忌を終えて過ぎ去ろうとしている今年の夏は、実父が亡くなって30年目の夏でもあった。あの遠い別れの夏も、うだるような暑い毎日だった。
12の時に腎臓病を患って以来ずっと身体の弱かった私は、実父の年齢(47歳)まで生きることを目標にしてきた。そして今春とうとう父の享年と並ぶ歳となる誕生日を迎えた。
幼い時分から、酒乱の父には悩まされ泣かされることばかりの生活だったが、ひとつだけ今も忘れることのできない父の台詞がある。
「人にも物にも、この世の全てのことに感謝しなさい。たとえば、トイレで用を足したあとは、トイレの神様にありがとうを言いなさい」それが父の口癖だった。
父の生きざまからすれば矛盾以外の何ものでもなかったが、私はこの言葉に何かしら不思議な感動を覚えた。
今も私は、スーパーのレジ係に、バスの運転手さんに、ファミレスのウェイトレスさんに、そしてトイレの神様に、毎日あらゆるシーンでの「ありがとう」を欠かさない。
今年、私は一冊の詩集と出合った。屋久島の森羅万象のなかで、生命を見つめ、世界平和を祈り続けた詩人、山尾三省。
父とは正反対の生き方をした彼の詩のなかに、父の志と重なる一節を見つけた時には、涙があふれて止まらなかった。
(中略)
人生の感謝を教えてくれた実父と、行く末を遠くから見守ってくれた養父。
二人の生命を引き継いで、これからも私は生きて行く。
あらためて「ありがとう、お父さん」。
(2006年晩夏 記)



足の裏踏み      山尾 三省

閑ちゃんは 二年だから
父さんの 足の裏踏み 五十回
一、二、三、四……五十回 有難う

すみれちゃんは 四年だから
足の裏踏み 七十回
一、二、三、四……七十回 有難う

海彦は六年だから
足の裏踏み 百回
一、二、三、四……百回 有難う

病気になって父さんは このごろ思うのだが
結局人生は この有難うということを
心から言うためにこそ あったのだ
有難う
ありがとう 子供たち


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「祈り」

2002年8月28日第一版第一刷発行

著者/山尾三省

発行者/石垣雅設

発行所/野草社

発売元/新泉社


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by ringo-utahime | 2016-10-23 09:01 | ポエム | Comments(2)

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「詩集*タケル」を紹介。
詩と散文で構成。
作者自身の子どもの頃の体験や心の原風景に引き込まれる一冊。


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タケル

タケルが草を刈っている。草の波間で光る飛魚のような鎌。浮き輪のようにゆっくり動いていく麦藁帽子。日は長く、牧草地は海のようにひろい。タケルは、牛舎で啼く黒毛の声を蒸気機関車の汽笛のように聴きながら刈りすすむ。

タケルは雲雀の巣をよけて草を刈る。
タケルは翌檜の木の下で昼寝をする。



タケルの細い首に巻かれた白い繃帯はムカデのような傷を隠している。タケルの足元にはタケルの影が小犬のように寄り添っている。タケルは誰とも口を利いたことがないが草笛が上手だ。鳥寄せをする。



牧草地の周縁を弓なりに走る過去の列車が煙を吐きながら通り過ぎていく。デッキでタケルに手を振る少女がいる。小学三年生で亡くなったタケルの姉だ。S字の川を一緒に渉ったことがある。つないだ手のぬくみが今もタケルを悲しませる。



一日が終わり、タケルは鎌を抱いて藁の中で眠る。夢の中でも草を刈っている。




******************


『詩集*タケル』
2015年7月25日初版発行
著者/本多 寿
発行者/本多 寿
発行所/(有)本多企画
定価/1800円+税


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by ringo-utahime | 2016-02-26 02:40 | ポエム | Comments(3)

朝日新聞(宮崎版)文芸欄に連載中の本多寿さんのコラム「記憶の森から」。8月12日(水)掲載分には、敬愛するヴィスワヴァ・シンボルスカ(1923.7.2~2012.2.1)の詩が取り上げられていて、嬉しかった。
1996年のノーベル文学賞を受賞した彼女は、最も偉大なポーランドの詩人であり、20世紀最大の女性詩人と言われている。
男性的骨格の中にある皮肉とユーモア、微笑みを持って現実の矛盾と不合理を突く彼女の詩は「詩歌のモーツァルト」「言葉のエレガンスとベートーベンの激情との調和」などと評されている。

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『終わりと始まり』(1993年)

戦争が終わった後では
だれかが後片付けをしなくてはならない
張本人が
じぶんですることなど
まずあり得ないのだから

だれかが死体の満載された荷車を
通りすぎていくためには
道端の
瓦礫を突き崩さなくてはなるまい

だれかが
泥や灰
ソファーのバネ
ガラスのかけらや
血まみれのボロ布の中に
もぐりこまねばならない

だれかが壁につっかい棒をするために
梁を引きずっていかなくてはならない
だれかが窓にガラスを
そして蝶番に扉をはめこまなくてはならない

これは写真うつりがいいというものではないし
年月を要する
カメラというカメラは、もう
他の戦争のためにいってしまった

橋は元通りに
駅は新しく改装しなくてはならない
折り曲げた袖口は こんな仕事のために
ずたずたになってしまうに違いない
だれかが手に箒を持って
昔の思い出話をしている
そしてまただれかは頭をあげたまま
うなずいては 耳をかたむけている
しかし そのすぐ傍らで
退屈した人々が
ぶらつき始める

時として まただれかが
やぶの下を掘り起こし
錆びた書類を取り出し
廃物処理場へと運んでゆく

ここで何が行われていたのかを
知っている者たちは
僅かしか知らない人々に
場所を譲らなくてはならない
それは、少数派よりもっと少ない
そしてだんだんと一人もいなくなってしまう

因果応報 こんな戦争の後には
生い茂った草の中で
穂を口に咥えたまま横たわり
いつもだれかが雲を睨みつけたまま
雲をぼんやりと眺めていなくてはならないのだ



『世紀の子供たち』 (1986年)

われわれは 二十世紀を生き抜く子供たち
この世紀は政治的な時代
お前の われわれの そしてお前たちの
昼の用事 夜の用事
すべて政治的な問題にかかわりを持っている

好むと好まざるとにかかわらず
われわれの生きてきた時代は
肌の色が何色であるとか
目の色がどうであったとかいう
人種差別の時代であった

お前が発言すれば 反響がかえってくる
お前が沈黙すれば それはさらに雄弁な意味を持つことになる
いずれにしても政治的なこと

森や林を抜けて と
パルチザンの歌 歌いながら
行くことも政治的なこと

非政治的な詩を書きつけたとしても
やはりそれは政治的なこと
空に月が光っていても
それは既に月だけの問題に止まりはしない
なすべきか なさざるべきか これが問題だ
どんな問いも 愛の答えも
すべて政治につながっている

お前が政治的な意味を得るために
人間的である必要はない
石油であったとしても事足りたのだ
動物の餌とか リサイクルの原料だって
よかったのだ

または 生と死について論争するかたわら
会議用の机の形のことで
丸い方がいいとか 四角いのでよいとか
何ヶ月もの間 言い争っていた

その時 人間たちは断末魔の苦しみに喘ぎ
動物たちが息を引きとり
家々は燃えつき
田畑が荒れ果てていった
はるか昔の
より非政治的な時代とおなじように


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by ringo-utahime | 2015-08-21 00:24 | ポエム | Comments(2)

尊敬する本多 寿さんの詩集「母の土地」を紹介。
(シャイでナイーブな寿さんには、きっと叱られるだろうが………)

2007年6月、米寿の誕生日を前にして死の危機に瀕しておられたお義母様(奥様の母上)の為にまとめられた一冊。表題を含む17篇の詩。

その内面の温かさと繊細さが滲み出ている寿さんの詩が、私は大好きだ。
(о´∀`о)


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母の土地
(本多 寿)

住みなれた家に帰りたくても
点滴チューブに繋がれて帰れない母がいる
帰りたい家の庭先では
母を待ちながら鎖に繋がれた犬がいる
会いにいきたくても
一歩もうごけない木々が待っている
草花が待っている
草木もまた大地に繋がれているのだ

しかし 帰りたい家も土地も
じつは母のまぶたの裏にあって
蜜柑の木に予防する時期も
枇杷や梅をちぎる季節が来たことも
すべて 手に取るように分かっている
また 犬が
首輪のきつさを訴えているから
「すこしゆるめてやれ」などと叱られる

海辺の病院に入って半年
母は 家の軒先に
監視カメラでも仕掛けていったのだろうか
草が茂れば「刈れ」と命じ
ツツジが咲いたか 紫陽花はまだか
桜は散ったかと気をもんでいる
いささか季節はずれだが
寝たきりでも母は結構いそがしいのである

うごけない母と うごけない山川草木
その上を きょうも日がめぐっている
月は律儀に満ち欠けを繰りかえし
星々は変わらず瞬きながら
母の育んだ畑に光の種を蒔きつづけている
もちろん死の種もまじっているが
肥沃な母の土地は
それさえ豊かに育ててきたのだ

母よ なにを嘆き悲しむことがあろう
季節がめぐり 時が満ちるとき
死もまた あなたが
手塩にかけて育ててきた蜜柑の木のように
その枝々に あかるく たわわに
燈火のような愛の果実を稔らせるだろう
そして あなたは
ほかならぬ果実の中に生きつづける



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by ringo-utahime | 2014-08-29 21:58 | ポエム | Comments(0)

まど・みちお

今年2月28日、詩人の「まど・みちお」さんが、満 104歳で亡くなった。

やぎさんゆうびん、ぞうさん、ふしぎなポケット、一年生になったら………おおらかでユーモラスな作品の数々は、童謡としても親しまれた。

やさしい言葉で、味わいのある「まど・みちお」の世界が大好きだ。

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リンゴ (まど・みちお)

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ




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by ringo-utahime | 2014-06-05 22:18 | ポエム | Comments(2)