りんご詩姫のブログ(新)

ringouta.exblog.jp

2013年4月開設『りんご詩姫のブログ(新)』‥‥文芸川柳、フラメンコ、ボイストレーニング、パン教室、グルメ等々、趣味に生きる元気印「りんご詩姫」の〈気まぐれブログ〉。小さなスナックのママです。よろしく♡♡

カテゴリ:書籍( 8 )

先のNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のヒロイン小橋常子と編集長の花山伊佐次、彼らのモデルだった大橋鎮子と花森安治が設立したのが「暮しの手帖」(家庭向け総合生活雑誌)。

1968年発行の「暮しの手帖96号」の特集〈戦争中の暮しの記録〉は、翌年1969年8月15日に《戦争中の暮しの記録 保存版》として出版され、現在も増刷されている。

戦争体験者たちの寄稿文からできた〈特集号〉は「ぼろぼろになっても、この一冊だけは、これからあとに生まれてくる人のために残しておきたい」という願いを込めて造本された。

《保存版》には、付録①「戦争経験のない若い人たちの読後感」と付録②「戦争を体験した人たちの感想」も収録されている。

毎年夏になると必ず売れる底力のある不思議な本だという。


これは、戦争中の、暮しの記録である。
いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているのか、それはわからない。
君が、この一冊を、どんな気持ちで読むだろうか、それもわからない。
しかし、君がなんとおもおうと、これが戦争なのだ。
それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしてゆく。
……この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。
これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。
(編集者)

e0322827_12352278.jpg


『戰場』

〈戰場〉は
いつでも
海の向うにあった
海の向うの
ずっととおい
手のとどかないところに
あった
学校で習った地図を
ひろげてみても
心のなかの〈戰場〉は
いつでも
それよりもっととおくの
海の向うにあった

ここは
〈戰場〉ではなかった
ここでは みんな
〈じぶんの家〉で
暮していた
すこしの豆粕と大豆と
どんぐりの粉を食べ
垢だらけのモンペを着て
夜が明けると
血眼になって働きまわり
日が暮れると そのまま
眠った
ここは 〈戰場〉では
なかった

海の向うの
心のなかの〈戰場〉では
泥水と 疲勞と 炎天と
飢餓と 死と
そのなかを
砲彈が 銃彈が 爆彈が
つんざき 唸り 炸裂していた

〈戰場〉と ここの間に
海があった
兵隊たちは
死ななければ
その〈海〉をこえて
ここへは 帰ってこられ
なかった

いま
その〈海〉をひきさいて
数百数千の爆撃機が
ここの上空に
殺到している

燒夷彈である
燒夷彈が
投下されている
時間にして
おそらく 数十秒
数百秒
燒夷彈が
想像をこえた量が
いま ここの上空から
投下されているのだ
それは 空中で
一度 炸裂し
一発の燒夷彈は
七二発の燒夷筒に分裂し
すさまじい光箭となって
地上に たたきこまれる
それは
いかなる前衛美術も
ついに及ばぬ
凄烈不可思議な
光跡を画いて
数かぎりなく
後から 後から 地上に
突きささってゆく

地上
そこは 〈戰場〉では
なかった
この すさまじい燒夷彈
攻撃にさらされている
この瞬間も
おそらく ここが
これが〈戰場〉だとは
おもっていなかった

爆彈は 恐しいが
燒夷彈は こわくないと
教えられていた
燒夷彈はたたけば消える
必ず消せ
と教えられていた
みんな その通りにした
気がついたときは
逃げみちは なかった
まわり全部が 千度を
こえる高熱の焔であった
しかも だれひとり
いま 〈戰場〉で
死んでゆくのだ とは
おもわないで
死んでいった

夜が明けた
ここは どこか
わからない
見わたすかぎり 瓦礫がつづき
ところどころ
余燼が 白く煙を上げて
くすぶっている
異様な 嘔き気のする臭いが
立ちこめている
うだるような風が ゆるく吹いていた

しかし ここは
〈戰場〉ではなかった
この風景は
單なる〈燒け跡〉にすぎなかった
ここで死んでいる人たちを
だれも〈戰死者〉とは 呼ばなかった
この気だるい風景のなかを動いている人たちは
正式には 單に〈罹災者〉であった
それだけであった

はだしである
負われている子をふくめて
この六人が 六人とも
はだしであり
六人が六人とも
こどもである
おそらく 兄妹であろう
父親は 出征中だろうか
母親は 逃げおくれたのだろうか

持てるだけの物を持ち
六人が寄りそって
一言もいわないで
だまって 燒けた舗道を
歩いてゆく
どこからきて どこへ ゆくのか
だれも知らないし
だれも知ろうとしない

しかし
ここは〈戰場〉ではない
ありふれた〈燒け跡〉の
ありふれた風景の
一つにすぎないのである

あの音を
どれだけ 聞いたろう
どれだけ聞いても
馴れることは なかった
聞くたびに
背筋が きいんとなった

6秒吹鳴 3秒休止
6秒吹鳴 3秒休止
それの十回くりかえし
空襲警報発令

あの夜にかぎって
空襲警報が鳴らなかった
敵が第一彈を投下して
七分も経って
空襲警報が鳴ったとき
東京の下町は もう
まわりが ぐるっと
燃え上っていた
まず まわりを燒いて
脱出口を全部ふさいで
それから その中を
碁盤目に 一つづつ
燒いていった

1平方メートル当り
すくなくとも3発以上
という燒夷彈
〈みなごろしの爆撃〉

三月十日午前零時八分から
二時三七分まで
一四九分間に
死者 8万8千7百93名
負傷者 11万3千62名
この数字は
広島、長崎を上まわる

ここを 單に〈燒け跡〉
とよんでよいのか
ここで死に ここで傷き
家を燒かれた人たちを
ただ〈罹災者〉で
片づけてよいのか

ここが みんなの町が
〈戰場〉だった
こここそ 今度の戰爭で
もっとも凄惨苛烈な
〈戰場〉だった

とにかく
生きていた
生きているということは
呼吸をしている
ということだった
それでも とにかく
生きていた

どこもかしこも
白茶けていた
生きていた
とはおもっても
生きていたのが幸せか
死んだほうが幸せか
よくわからなかった

気がついたら
男の下駄を はいていた
その下駄のひととは
あの焔のなかで
はぐれたままであった
朝から その人を探して
歩きまわった
たくさんの人が
死んでいた
誰が誰やら 男と女の
区別さえ つかなかった
それでも やはり
見てあるいた

生きていてほしい
とおもった

しかし じぶんは
どうして生きていけば
よいのか
わからなかった

どこかで
乾パンをくれるという
ことを聞いた
とりあえず
そのほうへ 歩いていってみようと おもった

いま考えると
この〈戰場〉で死んだ人の遺族に
国家が補償したのは
その乾パン一包みだけ
だったような気がする

お父さん
少年が そう叫んで
号泣した
あちらこちらから
嗚咽の声が洩れた

戰爭の終った日
八月十五日
靖国神社の境内

海の向うの〈戰場〉で
死んだ
父の 夫の 息子の
兄弟の
その死が なんの意味も
なかった
そのおもいが 胸のうちを
かきむしり
号泣となって
噴き上げた

しかし ここの
この〈戰場〉で
死んでいった人たち
その死については
どこに向って
泣けばよいのか

その日
日本列島は
晴れであった



************************

『戦争中の暮しの記録 保存版』

昭和44年8月15日初版第1刷発行
平成28年10月15日第21刷

編集/暮しの手帖編集部
発行者/阪東宗文
発行所/暮しの手帖社
印刷・製本所/大日本印刷㈱

※290ページ、2200円+税

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

[PR]
by ringo-utahime | 2016-10-25 18:25 | 書籍 | Comments(0)

「山頭火」 早坂 暁

1989年11月3日、NHK総合テレビで放送されたドラマ
《山頭火~何でこんなに淋しい風ふく》
のシナリオを含めた早坂 暁の著書。

e0322827_14375174.jpg

当初主演予定の渥美清の体調が芳しくなく、代わってフランキー堺が山頭火を演じた。

第30回モンテカルロ・テレビ祭シルバーニンフ賞、最優秀男優賞(フランキー堺)受賞、第29回日本テレビ技術賞(撮影・録音)受賞作品。

〈キャスト〉
種田山頭火……フランキー堺

妻・咲野…………桃井かおり
子・健………………村田 雄浩
妹・シヅ……………林 美智子
父・竹治郎…………大地 康雄

尾崎 放哉…………イッセー尾形

大山 澄太…………辰巳 琢郎

〈スタッフ〉
作…………………………早坂 暁
音楽………………………武満 徹
演出………………………外園 悠治

大正から昭和初期の自由律俳句の巨人、種田山頭火の生涯を描いたドラマ。

※NHKアーカイブスの名作選の一本でもある。

山頭火(本名・正一)が11歳の時に、母が自殺。女道楽の父が妾と行楽の旅に出た留守に、母フサは井戸に身を投げて死んだ。
のちに僧となった山頭火は、白布に母の位牌を持って、行乞の旅を続けた。
山頭火の句の底には、いつも「母恋い」の思いが流れている。



*************************


鉄鉢の中へも霰

まっすぐな道でさみしい

笠にとんぼをとまらせてあるく

分け入っても分け入っても青い山

家を出づれば冬木しんしんとならびたり

鳴きつれて虫のいのちのほそりゆく

足は手は支那に残してふたたび日本に

砂丘にうづくまりけふも佐渡は見えない

わかれてからのまいにち雪ふる

生死の中の雪ふりしきる

お骨声なく水のうへをゆく

銭がない物がない歯がない一人

しぐるるや人のなさけに涙ぐむ

毒薬をふところにして天の川

ほろほろほろびゆくわたくしの秋

うしろすがたのしぐれてゆくか

蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか

いつまでも死ねないからだの爪をきる

雨ふるふるさとははだしであるく

このまま死んでしまふかもしれない土に寝る

もりもり盛りあがる雲へあゆむ

しぐるるや死なないでゐる

伸ばした足にふれた隣りは四国の人

朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし

うまれた家はあとかたもないほうたる

年とれば故郷こひしいつくつくぼうし

みんなかへる家はあるゆふべのゆきき

てふてふひらひらいらかをこえた

ひよいと四国へ晴れきつてゐる

おちついて死ねさうな草枯るる

ゆきゆきて倒れるまでの道の草

ここまで来てこの木にもたれる



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

[PR]
by ringo-utahime | 2016-10-24 13:47 | 書籍 | Comments(2)
e0322827_00245290.jpg


朝日新聞宮崎版の連載だった「詩の中の宮崎」が「詩の中の戦争と風土ー宮崎の光と影」(本多寿著)と改題して発行される。175頁。
著者は、改題の理由を「後記」で下記のように語っている。

「それは稿を書きすすめていくうちに、詩人たちの詩作品の背景に戦争と、愛憎相半ばする風土へのしがらみが抜きがたく存在しているのに気づいたからである。つまり戦争体験と風土のしがらみを内包しつつ、それぞれの立場で真摯に自らの詩を紡ぎつづけた詩人たちの営為を、より明らかにできるのではないかという思いからである。」


11人の詩人が取り上げられている。
真田亀久代
嵯峨信之
富松良夫
伊藤桂一
渡辺修三
本多利通
高森文夫
大森一郎
金丸枡一
南邦和
大山鐵也


私の尊敬する南邦和先生の頁の一部を下記に紹介。


***************


帰郷 (南 邦和)

ふるさとは いま
おれの目の中にある
熱帯樹の葉蔭にまぶしく光る
陽炎の時間となって
ふるさとは いま
おれの掌の中にある
秘密のようにじっとり汗ばむ
少年期の記憶となって。

おれがふるさとを見失っていた数年間
たった一枚の紙切れが
あっけなくおやじを殺した
おふくろの額に苦悩を刻んで
おもいおもいの道を走って去った
カラマーゾフの兄弟たち
ふるさとの空は
きょうも底抜けの蒼さだ。

剃刀のようにおれは街を歩く
とぎ澄まされた悲しみを抱いて
前科者をむかえる親戚たちのように
このあかるい歩道は
よそよそしくおれを見つめる
強姦された少女の傷痕を覗くように
ふるさとは いま
おれの不幸をはげしく抉る。

ざらざらと砂を噛む悔恨となって
ふるさとは いま
おれの舌の上にある。


この詩は、引き揚げのときの帰郷を書いたものではない。高校卒業後に宮崎家庭裁判所に採用されたのち、東京最高裁判所書記官研修所速記部に入所。卒業後、大阪地方裁判所、横浜地方裁判所、鹿児島地方裁判所と勤務したあと、家庭の事情で宮崎に帰郷した時期のものである。だが、十三歳で引き揚げたときと同じく、彼は異質な帰郷者だった。


***************


戦後70年の今、私たちは決して安穏としてはいられない位置に立たされているのだと実感する。
こんな不安な時代だからこそ、この本の詩人たちの声にも耳を傾けて欲しいと、私もまた強く願う。


***************


『詩の中の戦争と風土ー宮崎の光と影』

著者/本多 寿
発行所/㈲本多企画
(TEL.0985-82-4085)

発行日/2015年8月15日初版
定価/1000円+税


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

[PR]
by ringo-utahime | 2015-08-10 23:44 | 書籍 | Comments(10)

戦争が廊下の奥に立ってゐた
(渡邊 白泉)


e0322827_0421455.jpg

俳人・渡邊白泉(わたなべはくせん)
1913年3月24日~1969年1月30日。本名は威徳(たけのり)。東京出身。
昭和初期の新興俳句運動において無季派(超季派)の俳人として活躍。戦争の本質を鋭く突いた「銃後俳句」と呼ばれる無季俳句が特に知られる。
※上の写真は、昭和40年、52歳の頃。

e0322827_2339982.jpg

※参考書籍
(現代俳句の世界16「富澤赤黄男、高屋窓秋、渡邊白泉 集」朝日文庫、昭和60年5月20日発行)


***************


◆白泉は大正2年3月24日、東京都赤坂生れ。中学4年(16歳)で「子規俳話」に接し、蕪村に魅了され、俳句を始める。

白壁の穴より薔薇の國を覗く
(昭和4年、16歳)

街燈は夜霧にぬれるためにある
(昭和9年、21歳)

鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ
(昭和10年、22歳)

三宅坂黄套わが背より降車
(昭和11年、23歳)
※「黄套」は陸軍の将校のカーキ色。

◆昭和12年7月、日中戦争勃発。

われは恋ひきみは晩霞を告げわたる
(昭和12年、24歳)

遠き遠き近き近き遠き遠き車輪
(昭和13年、25歳)

銃後という不思議な町を丘で見た
(昭和13年、25歳)

憲兵の前で滑って転んぢゃった
(昭和14年、26歳)

戦争が廊下の奥に立ってゐた
(昭和14年、26歳)

◆昭和15年2月、新興俳句(京大俳句)弾圧事件。5月、白泉検挙。執筆禁止。

◆昭和16年12月、対米英大東亜戦争開始。

庭中にまはりてふるや春の雪
(昭和18年頃)

鳥籠の中に鳥飛ぶ青葉かな
(昭和18年頃)

◆昭和19年6月、応召。横須賀海兵団入団。

めつむりて打たれてゐるや坊や見ゆ
(昭和19年、31歳)

襯衣〈しゃつ〉袴下〈こした〉番兵凍る洗濯日
(昭和19年、31歳)

夏の海水兵ひとり紛失す
(昭和19年、31歳)

◆昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾、敗戦。翌15日、玉音放送。

玉音を理解せし者前に出よ
(昭和20年、32歳)

新しき猿又ほしや百日紅
(昭和20年、32歳)

砂町の波郷死なすな冬紅葉
(昭和23年、35歳)
※俳人「石田波郷」は戦中に左湿性胸膜炎を発病、手術と入退院を繰り返した。心不全による逝去は、昭和44年11月21日。

◆昭和25年6月、朝鮮戦争勃発。

まんじゅしゃげ昔おいらん泣きました
(昭和25年、37歳)


◆昭和27年4月、サンフランシスコ講和条約締結、国際法上の大東亜戦争終戦。

◆昭和28年7月、朝鮮戦争休戦。

◆昭和29年3月、米軍の水爆実験。第五福竜丸被曝。


地平より原爆に照らされたき日
(昭和31年、43歳)

万愚節明けて三鬼の死を報ず
(昭和37年、49歳)
※俳人「西東三鬼」は胃癌を発病し、昭和37年4月1日永眠。

あぢさゐも柳も淡き雨のなか
(昭和39年、51歳)

極月の夜の風鈴責めさいなむ
(昭和39年、51歳)

松の花かくれてきみと暮らす夢
(昭和40年代)

おらは此のしっぽのとれた蜥蜴づら
(昭和40年代)

谷底の空なき水の秋の暮
(昭和40年代)

◆昭和44年1月30日、帰宅途上バスに乗る際、脳溢血発作で昏倒。意識不明のまま逝去。沼津市立沼津高等学校教諭。享年55。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

[PR]
by ringo-utahime | 2015-07-24 23:27 | 書籍 | Comments(4)

俳句の添削に学ぶ

TBS系で放送中のバラエティ番組『プレバト!!』の〈俳句コーナー〉が好きだ。
俳人・夏井いつき
さんの添削指導には、ファンも多い。

e0322827_2565031.jpg

夏井いつきさんは昭和32年生まれ、松山市在住。8年間の中学校国語教諭の後、俳人へ転身。「第8回俳壇賞」受賞など。

e0322827_257589.jpg

「超辛口先生の赤ペン俳句教室」著者・夏井いつき(朝日出版社、2014年12月10日初版第1刷発行)を紹介。

普通の入門書のような俳句の作り方は、ほとんど書かれていない。
芸能人(ほぼ初心者)の俳句を取り上げ、添削によって変容する「言葉の化学変化」を楽しんで欲しいという主旨。


《Q&A》
Q★添削した句の作者は誰か?
A★日々の句会でも、添削は作り替えの提案として議論される。指導者や句座の仲間から自句について様々な添削案が示され、それが自分の表現意図に合致していれば、作者の判断において、その案を自作として採用して構わない。が、提案された添削が自分の表現意図やニュアンスに敵っていない場合は、諸々の提案は推敲のヒントとして拝聴するに留めておくべき。
添削という提案を採用するか否かは、作者自身が自分の意思で決めるべきこと。


***************

~添削実践例より一部抜粋~

①夏の日の思い出にがしかき氷(長嶋 一茂)
↓↓↓↓↓
夏の季語が2つ(夏の日、かき氷)の「季重なり」はNG。
上句の「夏の日」を具体的な映像を持つ語彙に変えたい。
《添削例》
片恋の思い出にがしかき氷
縁日の思い出にがしかき氷
合宿の思い出にがしかき氷
〈季語「かき氷」=夏〉

②移り行く夏の夜空か万華鏡(前田 吟)
↓↓↓↓↓
花火を万華鏡に喩えたかった句。「移り行く」が「夏」にかかってしまうのを避けたいので、上句を「ひらきゆく」に添削。
誤読を引き出す要因の「夜空か」の助詞「か」を「の」にして「夏の夜空=花火=万華鏡」という意味が伝わるようにしたい。
《添削例》
ひらきゆく夏の夜空の万華鏡
〈季語「夏」=夏〉

③古き塔照らす月光君想う(吉村 涼)
↓↓↓↓↓
※言葉の無駄遣いを省くこと。
「月光」に「照らす」は不要。「古き塔」は「古塔」に縮めることができる。
《添削例》
月光に古塔の影や君想う
〈季語「月光」=秋〉

④行く夏を惜しむ夕日が浜てらす(田原総一朗)
↓↓↓↓↓
「行く夏」には「惜しむ」気持ちも内包される。
「夕日」に「てらす」は不要。
《添削例》
行く夏や夕日の浜に一人立つ
行く夏や夕日の浜に我と犬
行く夏や夕日の浜に国憂う
〈季語「行く夏」=夏〉

⑤夕暮れの月が囁く帰り道(蛭子 能収)
↓↓↓↓↓
「夕暮れの月」を「夕月」に短縮して、具体的な映像を加えたい。
《添削例》
夕月が囁く坂の帰り道
夕月が囁く妻と帰る道
夕月に暖簾囁く帰り道
〈季語「夕月」=秋〉

⑥涼しさを登り味わう氷水(優木まおみ)
↓↓↓↓↓
夏の季語(涼しさ、氷水)が2つの「季重なり」なので、季語を1つ捨てる。
動詞「味わう」と説明せず、臨場感をもって気分を表現したい。
《添削例》
涼しさを登りきてこの水の味
〈季語「涼しさ」=夏〉

⑦滝つぼに向かって白龍まっしぐら(藤本 敏史)
↓↓↓↓↓
中8音の字余りなので「向かって」を「向かい」にしたい。
「滝つぼに」を「滝つぼへ」と助詞を変えたい。
※「に」は場所を示す助詞、「へ」は方向を示す助詞で勢いが出る。
《添削例》
滝つぼへ向かい白龍まっしぐら
〈季語「滝」=夏〉


***************

先日、みごと芥川賞を受賞されたピース又吉直樹さんの俳句は、秀句に分類されている。さすが。

柄のとれた箪笥の中に菫草(又吉 直樹)
〈季語「菫草=春」〉

号令の風となりけり水芭蕉(又吉 直樹)
〈季語「水芭蕉」=夏〉


***************


共に俳諧連歌から生まれた「俳句」と「川柳」は、性格は異なるが同じDNAを持つ兄弟なので、幾つかの共通点もある。
俳句を学ぶことは、川柳作家にとっても大いに勉強になり、プラスになることだと考えている。

(*^_^*)


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

[PR]
by ringo-utahime | 2015-07-20 02:50 | 書籍 | Comments(14)
台風19号が去った宮崎。まだ時折強い風が吹いている。

昨日12日(日)、開催予定だった「第50回川南土の子番傘川柳大会」も台風のため中止に。
外出もできず、家でゴロゴロ過ごす。

小林信彦著「うらなり」を読んだ。
2006年《第54回菊池寛賞》受賞作品。

e0322827_17255816.jpg

夏目漱石の「坊っちゃん」の登場人物〈うらなり〉を語り手にして、漱石の小説の後日談を書くという趣向が面白い。

〈うらなり〉は、家が没落し窮乏した顔色の悪い英語教師。
〈マドンナ〉を横取りしようとする教頭〈赤シャツ〉の策謀で、延岡に転任させられる。
昭和9年に、数学の参考書を出版した〈山嵐〉と、老年になった〈うらなり〉が、昔日を回顧する場面から始まる。

〈うらなり〉は、延岡から姫路に転任しながら教師を続け、平凡な結婚をして平穏に生きる。
小説「坊っちゃん」の脇役から見れば、無鉄砲な〈坊っちゃん〉は、無責任な〈B型ヒーロー〉として違和感を持って描かれる………なるほどと頷きたくなった。

小説「坊っちゃん」で語り手の〈おれ〉に名前がないことは、あらためて漱石の凄い技だと思うが、ゆえに小説「うらなり」でも〈坊っちゃん〉の名前が明かされていないことに、妙に感動を覚えた。

〈マドンナ〉の描かれ方には賛否両論ありそうだが………私自身は、すこぶるリアリズムを感じた。

もし漱石が生きていたら、この小説にどんな意見を抱くかが気になるところでもある。

「坊っちゃん」のスピンオフ小説として楽しめるお薦めの一冊。

(。^。^。)



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[PR]
by ringo-utahime | 2014-10-13 17:21 | 書籍 | Comments(7)

柳原白蓮

好評のNHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」の放送も、あと2週間あまりを残すのみとなった。

吉高由里子演じる「村岡花子」とダブル主演かと思わせた仲間由紀恵演じる「葉山蓮子」は、実在の『柳原百蓮』
父は、柳原前光伯爵。母は、前光の妾の一人で、新橋の芸妓となっていた没落士族の娘・奥津りょう。東京に生まれた。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。

恋を夢見た浪漫派の歌人「白蓮」は、「九条武子」(西本願寺・大谷光尊の二女。男爵・九条良到と結婚。歌人)や「江木欣々」(新橋の芸者。法律学者・江木衷と結婚。社交界で名を知られた)と並んで、《大正三美人》と呼ばれた。

白蓮は、菊池寛の小説「真珠夫人」や、映画「麗人」のモデルでもある。

e0322827_17121971.jpg

※写真
ノンフィクション作家の永畑道子の「恋の華・百蓮事件」(1982年)。
小説家の林真理子は「白蓮れんれん」で、第8回柴田錬三郎賞を受章している。



百人の男の心破りなば
この悲しみも
忘れはてむか

吾なくばわが世もあらじ
人もあらじ
まして身を焼く
思ひもあらじ



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

[PR]
by ringo-utahime | 2014-09-11 16:32 | 書籍 | Comments(2)
8月15日の朝日新聞の天声人語にも記されていた
『人間臨終図巻』
(全3巻、徳間文庫、2001年版)を紹介。

作者は「魔界転生」「甲賀忍法帖」「柳生忍法帖」などで有名な故・山田風太郎。

数年前から我が家の本棚にあったのだが、こんなに面白いとは知らなかった。
(^_^;)

e0322827_17595035.jpg

この世に生まれ落ちた瞬間から死に向かって歩きだすのが「にんげん」の運命であり、誰しも怖れるのが「死」だ。

本書は、満15才で没した八百屋お七に始まり、 121才で没した泉重千代(彼の戸籍には疑問もあり、実際の年齢は 106才とも言われる)まで、約 900名のあらゆる有名人の臨終を記した人死辞典とも呼べるもの。

分類基準の「何歳で死んだか」という観点からの列挙並列と「定説」が、一人あたり1~4頁に渡って記されて
いる。

人名索引(あいうえお順)の「あ欄」だけでも、41名。
アイヒマン、アインシュタイン、赤木圭一郎、アガサ・クリスティー、芥川龍之介、明智光秀、浅沼稲次郎、足利尊氏、アダム・スミス、アベベ、天草四郎、新井白石、嵐寛寿郎、アラビアのロレンス、アリストテレス、アンデルセン、安藤広重、アンネ………などなど。

地上に生きた英雄、武将、政治家、作家、芸術家、芸能人、アスリート、犯罪者………彼らが示すラストの真の様相は、実に興味深い。


~引用・抜粋~

『円谷幸吉』28歳
昭和39年の東京オリンピックのマラソンで3位に泣いた円谷幸吉は、メキシコオリンピックの開催される昭和43年1月9日に28歳でカミソリ自殺をとげた。食べ物の礼ばかり述べてあった父母や兄姉への有名な遺書を、川端康成は「千万言もつくせぬ哀切」と評し、三島由紀夫は「壮烈な武人の死」と評し、スポーツ評論家川本信正は「円谷は日本人の愛国心に殺された」と評した。円谷の自殺は足と腰の故障の他に、彼には美しい恋人があったが、体育学校校長に交際を禁じられ、2ヶ月前にその女性が他の男性のもとに嫁いだことによるという。東京オリンピックで1位のアベベも、この5年後に死ぬ。


それぞれの死の資料と向き合った山田風太郎の視点で書かれた各々の「人生」と「生き様」が、不思議な魅力を醸し出している。
お薦め。
ひとつ残念なのは、川柳作家の「鶴彬(つる・あきら)」の名前がないことだ。川柳と川柳作家への認知度が、世間ではまだまだ低いという証でもあろう。


ちなみに、同じく天声人語に出ていた山田風太郎の『戦中派不戦日記』が読みたくて、ネット通販で発注済み。

(#^.^#)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

[PR]
by ringo-utahime | 2014-08-30 17:37 | 書籍 | Comments(4)

2013年4月開設『りんご詩姫のブログ(新)』‥‥文芸川柳、フラメンコ、ボイストレーニング、パン教室、グルメ等々、趣味に生きる元気印「りんご詩姫」の〈気まぐれブログ〉。小さなスナックのママです。よろしく♡♡


by りんご詩姫