このところ《川柳みやざき秋季号》
私の巻頭言「川柳と脳のはたらき」を読みたいという
問い合わせやリクエストが多い。
嬉しい悲鳴というやつだ。

たいした文章ではないので恥ずかしい限りだが、
せっかくなので下記に紹介したい。

※横書きのエッセイは読みづらいので、
原文に数ヶ所の改行を加えておく。

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川柳と脳のはたらき        さわだまゆみ


川柳には「シニア世代の趣味」というイメージがつきまとう。

書店の専用コーナーには「シルバー川柳」「還暦川柳」「健康川柳」「介護川柳」「お葬式川柳」などの本が並べられ、昨今では「転倒予防・詐欺予防川柳」など高齢者を対象にしたピンポイントの募集川柳も増加傾向にある。

川柳を始めた動機を訊かれると、冗談めいて「ボケ防止(認知症予防)」と答える方はとても多い。
果たして、川柳は本当に認知症予防になるのだろうか。

今から四年前、脳神経科学の専門家で諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授が「川柳と脳のはたらき」についての調査をされた。

特殊な装置を使って、被験者が川柳を考えている時に《脳のどの部分が活発になるか》を測定するというもので、左脳と右脳を比べると、大きな変化の顕れる場所が左脳に二ヶ所見つかった。

一つ目は「前頭前野」。記憶や情報を一時的に保持し組み合わせて答えを出す部分、つまり頭を使うことで活動を高める場所である。年をとると衰えやすいといわれる前頭前野が、川柳をひねることで活発になることが判った。

二つ目は、前頭前野のやや後ろあたりの「側頭頭頂接合部」で、想像力に関係する場所。比喩表現の理解や言葉の意味を二重に使ってみることなどで、この部分の活動が高まることが認められた。

実験の結果「川柳に親しむことは、脳のはたらきの低下を予防し、認知症予防につながる」と考えられた。
川柳は脳トレになり、ボケ防止の効果があるのは事実といえる。

川柳の魅力は、佳句をひねりだした時の充実感、日常生活の憂さを晴らす、嫌なことがあった時の気分転換などの他に、「若さを保てること」が挙げられると思う。

見つけ(句材・発想・着眼点)を探して常に身のまわりに目を向けることが求められ、日々をぼんやり過ごすことのできない川柳人は、うかうかと老いてなどいられない。

川柳を詠むことで上手にストレスを解消し、自分自身を解放していることも、川柳作家が一様に若く見えるゆえんなのではないだろうか。

「超・高齢社会」に突入した現代の日本人にとって、川柳は必要不可欠なアイテムになってきた気がする。

今後ますます川柳人口が増えることを、大いに期待してやまない。



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by ringo-utahime | 2016-09-29 09:05 | エッセイ | Comments(0)

南樹川柳社(延岡・荒砂和彦)発行の川柳誌『汎』78号に、私の尊敬する詩人の本多 寿さんがエッセイを寄稿しておられる。

多くの川柳作家に読んでいただきたい貴重な一文だ。

荒砂さんと本多さんのご了承をいただいたので、下記に全文を転載する。

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~エッセイ~

『一行の詩に向かって』 詩人/本多 寿


現代俳句や現代川柳を標榜する作家たちが、よく口にする言葉がある。彼らの大方は口を揃えたように「一行の詩」と言う。たしかに俳句も短歌も川柳も「一行の詩」には違いない。しかし、彼らに現代詩について話題を向けると、「現代詩は、ちょっと」とか「読んだことがない」という答えが返ってくる。これは一体どういうことなのか。大体、こうした傾向は地方で短詩型に関わっている人に多く見受けられる。

「詩」というからには、まず「詩とは何か」という問いがなければならないし、その問いに対した上で、自らの「詩表現とは何か」「文学とは何か」という具合に問いが深まっていくのが普通ではないだろうか。そして、この「問い」を深めていくためには、同じ「詩」の分野に属する現代詩はもちろん、近・現代詩ならびに西洋・東洋を含めた詩への目配りが必要になってくる。さらに、定型詩の成立から考えれば、漢詩や万葉集、あるいは古今集、新古今集なども避けて通れるものではない。だからといって文学学者になるわけではないので博覧強記になる必要はない。どの分野でもいいから好きな先達歌人や俳人、世の東西を問わない外国の詩人の一人や二人は視野に入れておくべきであろう。

なぜ、したり顔でこういうことを言うかといえば、私が二十六歳で詩を書きはじめたころに出会った詩人渡辺修三の言葉が忘れられないからである。その言葉の要点は、安易にならないように自己に冷酷でなければならないこと。視野をひろく持って、地方文化人で終わらないこと。地方にあって文学の仕事をすることは困難なものであるが、その困難にうち勝って文学を生長させることというものであった。私は忠告であったであろうこれらの言葉に、文学を仕事と認識している詩人の厳しい詩精神を垣間見て、それまでの安易な詩作態度を痛打された気がした。それから先述したような物の他に聖書や哲学書を手当たり次第に読んだ。そして、感銘や刺激を受けた作品を自らの文学の批評基準とし、詩のリトマスとしてきた。また馴れを戒め、自己満足を敵として試行錯誤しながらハードルを高くしてきた。仲間をつくる時は、なるべく異質な者を仲間とした。座の文学と言われる俳句や川柳も基本はおなじだろう。鍛え合うには異を唱える者をこそ求めたい。



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by ringo-utahime | 2016-08-31 12:24 | エッセイ | Comments(2)