「戦争中の暮しの記録」暮しの手帖編

先のNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のヒロイン小橋常子と編集長の花山伊佐次、彼らのモデルだった大橋鎮子と花森安治が設立したのが「暮しの手帖」(家庭向け総合生活雑誌)。

1968年発行の「暮しの手帖96号」の特集〈戦争中の暮しの記録〉は、翌年1969年8月15日に《戦争中の暮しの記録 保存版》として出版され、現在も増刷されている。

戦争体験者たちの寄稿文からできた〈特集号〉は「ぼろぼろになっても、この一冊だけは、これからあとに生まれてくる人のために残しておきたい」という願いを込めて造本された。

《保存版》には、付録①「戦争経験のない若い人たちの読後感」と付録②「戦争を体験した人たちの感想」も収録されている。

毎年夏になると必ず売れる底力のある不思議な本だという。


これは、戦争中の、暮しの記録である。
いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているのか、それはわからない。
君が、この一冊を、どんな気持ちで読むだろうか、それもわからない。
しかし、君がなんとおもおうと、これが戦争なのだ。
それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしてゆく。
……この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。
これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。
(編集者)

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『戰場』

〈戰場〉は
いつでも
海の向うにあった
海の向うの
ずっととおい
手のとどかないところに
あった
学校で習った地図を
ひろげてみても
心のなかの〈戰場〉は
いつでも
それよりもっととおくの
海の向うにあった

ここは
〈戰場〉ではなかった
ここでは みんな
〈じぶんの家〉で
暮していた
すこしの豆粕と大豆と
どんぐりの粉を食べ
垢だらけのモンペを着て
夜が明けると
血眼になって働きまわり
日が暮れると そのまま
眠った
ここは 〈戰場〉では
なかった

海の向うの
心のなかの〈戰場〉では
泥水と 疲勞と 炎天と
飢餓と 死と
そのなかを
砲彈が 銃彈が 爆彈が
つんざき 唸り 炸裂していた

〈戰場〉と ここの間に
海があった
兵隊たちは
死ななければ
その〈海〉をこえて
ここへは 帰ってこられ
なかった

いま
その〈海〉をひきさいて
数百数千の爆撃機が
ここの上空に
殺到している

燒夷彈である
燒夷彈が
投下されている
時間にして
おそらく 数十秒
数百秒
燒夷彈が
想像をこえた量が
いま ここの上空から
投下されているのだ
それは 空中で
一度 炸裂し
一発の燒夷彈は
七二発の燒夷筒に分裂し
すさまじい光箭となって
地上に たたきこまれる
それは
いかなる前衛美術も
ついに及ばぬ
凄烈不可思議な
光跡を画いて
数かぎりなく
後から 後から 地上に
突きささってゆく

地上
そこは 〈戰場〉では
なかった
この すさまじい燒夷彈
攻撃にさらされている
この瞬間も
おそらく ここが
これが〈戰場〉だとは
おもっていなかった

爆彈は 恐しいが
燒夷彈は こわくないと
教えられていた
燒夷彈はたたけば消える
必ず消せ
と教えられていた
みんな その通りにした
気がついたときは
逃げみちは なかった
まわり全部が 千度を
こえる高熱の焔であった
しかも だれひとり
いま 〈戰場〉で
死んでゆくのだ とは
おもわないで
死んでいった

夜が明けた
ここは どこか
わからない
見わたすかぎり 瓦礫がつづき
ところどころ
余燼が 白く煙を上げて
くすぶっている
異様な 嘔き気のする臭いが
立ちこめている
うだるような風が ゆるく吹いていた

しかし ここは
〈戰場〉ではなかった
この風景は
單なる〈燒け跡〉にすぎなかった
ここで死んでいる人たちを
だれも〈戰死者〉とは 呼ばなかった
この気だるい風景のなかを動いている人たちは
正式には 單に〈罹災者〉であった
それだけであった

はだしである
負われている子をふくめて
この六人が 六人とも
はだしであり
六人が六人とも
こどもである
おそらく 兄妹であろう
父親は 出征中だろうか
母親は 逃げおくれたのだろうか

持てるだけの物を持ち
六人が寄りそって
一言もいわないで
だまって 燒けた舗道を
歩いてゆく
どこからきて どこへ ゆくのか
だれも知らないし
だれも知ろうとしない

しかし
ここは〈戰場〉ではない
ありふれた〈燒け跡〉の
ありふれた風景の
一つにすぎないのである

あの音を
どれだけ 聞いたろう
どれだけ聞いても
馴れることは なかった
聞くたびに
背筋が きいんとなった

6秒吹鳴 3秒休止
6秒吹鳴 3秒休止
それの十回くりかえし
空襲警報発令

あの夜にかぎって
空襲警報が鳴らなかった
敵が第一彈を投下して
七分も経って
空襲警報が鳴ったとき
東京の下町は もう
まわりが ぐるっと
燃え上っていた
まず まわりを燒いて
脱出口を全部ふさいで
それから その中を
碁盤目に 一つづつ
燒いていった

1平方メートル当り
すくなくとも3発以上
という燒夷彈
〈みなごろしの爆撃〉

三月十日午前零時八分から
二時三七分まで
一四九分間に
死者 8万8千7百93名
負傷者 11万3千62名
この数字は
広島、長崎を上まわる

ここを 單に〈燒け跡〉
とよんでよいのか
ここで死に ここで傷き
家を燒かれた人たちを
ただ〈罹災者〉で
片づけてよいのか

ここが みんなの町が
〈戰場〉だった
こここそ 今度の戰爭で
もっとも凄惨苛烈な
〈戰場〉だった

とにかく
生きていた
生きているということは
呼吸をしている
ということだった
それでも とにかく
生きていた

どこもかしこも
白茶けていた
生きていた
とはおもっても
生きていたのが幸せか
死んだほうが幸せか
よくわからなかった

気がついたら
男の下駄を はいていた
その下駄のひととは
あの焔のなかで
はぐれたままであった
朝から その人を探して
歩きまわった
たくさんの人が
死んでいた
誰が誰やら 男と女の
区別さえ つかなかった
それでも やはり
見てあるいた

生きていてほしい
とおもった

しかし じぶんは
どうして生きていけば
よいのか
わからなかった

どこかで
乾パンをくれるという
ことを聞いた
とりあえず
そのほうへ 歩いていってみようと おもった

いま考えると
この〈戰場〉で死んだ人の遺族に
国家が補償したのは
その乾パン一包みだけ
だったような気がする

お父さん
少年が そう叫んで
号泣した
あちらこちらから
嗚咽の声が洩れた

戰爭の終った日
八月十五日
靖国神社の境内

海の向うの〈戰場〉で
死んだ
父の 夫の 息子の
兄弟の
その死が なんの意味も
なかった
そのおもいが 胸のうちを
かきむしり
号泣となって
噴き上げた

しかし ここの
この〈戰場〉で
死んでいった人たち
その死については
どこに向って
泣けばよいのか

その日
日本列島は
晴れであった



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『戦争中の暮しの記録 保存版』

昭和44年8月15日初版第1刷発行
平成28年10月15日第21刷

編集/暮しの手帖編集部
発行者/阪東宗文
発行所/暮しの手帖社
印刷・製本所/大日本印刷㈱

※290ページ、2200円+税

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by ringo-utahime | 2016-10-25 18:25 | 書籍 | Comments(0)